今年も私はお正月に実家の富山県高岡市に帰省しておりました。ご存知の方もおられますが、その折に令和6年能登半島地震を経験しました。震度は5強と立っていることが困難な状況であり、その後すぐに津波警報が発令されました。お寺から離れたところにいた私は、お寺にいた住職に電話をしても繋がらず、1時間ほどの音信不通の間に色々なことを考え「もしかしたらお寺はもうだめかもしれない」と覚悟したことを覚えています。海から300m、海抜は1mの位置にお寺がありますので、警報中に帰ることはできずに避難しました。その後何とか無事に住職含め家族全員が合流し、道の駅や新高岡駅の駐車場で車中泊をしながら一夜をしのぎました。家には2日の朝に恐る恐る戻りましたが、道はボコボコ、電柱は沈み、境内は砂でドロドロとなり、液状化現象により街は変わり果てていました。本堂は比較的傾きは少ないものの、住まいは沈下が激しく半壊となり、同じ町のご門徒宅も真っ直ぐ建っている家はほぼ無い状況でありました。
そんな状況の中、とりあえず帰ったものの、何から手をつけていいかわからず、「どうして私たちが正月早々こんな目に・・」という思いの中、瓦礫の撤去やライフラインの復旧作業をする毎日でありました。
3日には住職と相談し、順次1月の月忌参りと法事のお休みの連絡をご門徒へいたすこととしました。四十九日のお勤めが本堂で3家族予定されておりましたが、3家族とも「法輪寺さん、予定通り本堂でお参りしてもらえんけ?」と返ってきました。住職は「わかりました。お気をつけてお越しください。」と返しておりましたが、私は正直横で聞きながら「どうして門徒さんのお宅も、お寺もこんな大変で、ましてやご本尊も本堂から避難させている時に予定通りお勤めするのか」と思いました。少し不信感が残るまま14日まで過ごし東京に戻ってまいりました。戻るまでにも会員の皆さまをはじめ、多くの方からご心配の声をいただきありがたいことでございました。
ある日、熊本地震と中越地震を勤務地で経験された職員から、その時に被災されたご門徒さんからの言葉を教えていただきました。それは「こんな時こそ教化をしてほしい、こんな時こそお参りをしたいんです」という言葉でした。それを聞いて私は、もしかしたら富山のご門徒も同じ気持ちであったのかもしれない、法事くらいはいつも通り勤めたい、こんな状況でも手を合わせに行きたいと思っておられたのではないかと思いました。私の言葉ではうまくは言えませんが、お念仏の中に生活がある姿を教えていただいたような気がいたしました。私は全く逆でございました。
僧侶であり、宗門のお仕事をしながら、「仏事は大切です」とどこか教えるように言っている私の姿を浮き彫りに感じると共に、不謹慎かもしれませんが、真宗が確かにこの地に流れていると鼓舞され、確かめさせられる出来事といただきました。
東京真宗同朋の会事務局 中臣研諒