本部通信 2015年8月
孟蘭盆会は古来から続く仏教の法要だが、1945年以後は戦没者追弔式、広島・長崎の原爆慰霊式などの公的行事の日々と重なり、ともに家庭での法要が長く厳粛に勤められてきた。痛恨の極みともいうような戦争が終わって、深い悔恨と懺悔の感情が、毎年の法要によって呼び起こされてきたことだろう。しかし、今もなおその法要は真面目に伝承されているのだろうか。
私の父は昭和の15年戦争に2度召集されている。前線への志願はせずに兵站業務に従事していたので、終戦前に除隊になったと言っていた。優秀で気力体力のある人たちは皆前線を志願し(させられて)、ほとんど帰らなかったと言っていた。私の母方の祖父は福島の在だったが、日露戦争に召集されて肩に銃創を負って帰って来た。
国民に戦い続けることを要求し続けてきた「大日本帝国憲法」と「教育勅語」が破綻して、「日本国憲法」が公布された。ここまでがおおよそ60年。それから70年、いつしかお盆の法要期間は、海外旅行や温泉旅行等、レジャー業界の各種パッケージ商品が提供される期間になっている。多くの家庭では、法要に当たり亡き人を偲び70年前の無力な自分を問い続けてきた人たちは亡くなってしまった。次の世代の私は、形ばかりに墓参りへ行くことくらいしかしていない。「慚愧」という言葉が込み上げてくる。
遡って、400年以上にわたる戦乱の時代にようやくピリオドを打ったのは、武力の自制を厳しく要求した「武家諸法度」だと教えられている。その精神を明治維新は一顧もしなかった。ましてや民衆の慈悲の心を踏みにじるような「廃仏毀釈」まで宣揚した。70年を区切りにしてしっかり明日を見つめていくのなら、「武家諸法度」の精神まで、さらに遡って「十七条憲法」の精神までゆっくりと、この国の歴史が求めてきた精神とは何かを振り返ってみればいい。
「メディアを潰せ」とまで脅迫する者たちがいる。知らせるな、考えさせるな、言わせるなと言っている。「戦える国にしたい」という言葉も聞こえている。お盆の法要の間近にそんな言葉を表明しようとするなら、どの顔をして、と言わざるをえない。
古くから武力や権力にも勝るものが言葉であると言われてきた。政治も宗教も大前提に言葉(=憲法、=聖典)の共有があるはずだ。言葉は人間存在の依りどころだ。真宗も名号(=言葉)のいわれを聞かせていただいて応えることが教えの要になっている。
親鸞聖人は、念仏(=仏言=言葉)を民衆から取り上げようとした権力に、「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ」と言って憤りを顕わにされた。
戦争の傷を癒やしてきた70年間にも、水俣病や差別問題や格差社会や原発災害など痛むべき事件、事態はやまらない。どうか静かな思いを込めた談話を聞かせてほしい。そして私たちは孟蘭盆会法要に際して、「戦後70年」を、一人ひとり自分の言葉で表白したい。
(鈴木)