本部通信 2020年4月
インターネットでこんな言葉が紹介されていた(日経BP 2020年3月24日『新型コロナが浮き彫りにした格差社会の危険な先行き』健康社会学者 河合薫氏)。
これは3月半ばに科学雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の記事に引用された米ミシガン大学の疫学の助教ジョン・ゼルナー氏の言葉とのこと。今回アウト
ブレイクした新型コロナウイルスや過去の研究から、医療従事者や介護職など特定の職業に就く人や、ホームレスを含めた低所得者層の感染リスクと予防の難し
さを伝える内容だったという。
冒頭の言葉を紹介した河合氏は次のように論を展開した。「どんなに格差なき社会を追求したところで、格差が完全になくなることはない。だが、格差が広がる
ことは、人が健全に暮らすためのリソース(お金や体力、知力や知識、学歴、住環境、社会的地位、サポートネットワークなど、対処に役立つことに加え、個人
の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態を高める役目を担っているとする)の欠損につながる。格差社会は『持てる人』の健康をも
脅かす凶器になる。」そして締めくくり。「では『私』にできることは何か? まずはストレスの『冷たい雨」に降られている人を想像すること。そして、他者の
リソースの一つになる『私』を考えることだと思う。」
私たちがどこまでいっても煩悩熾盛の凡夫であることを知らせてくれるのが阿弥陀如来のはたらきである。ウイルスの脅威に脅えながら餓鬼の如く足りぬ足り
ぬと蓄え、そうかと思えば家に閉じこもるのにも疲れたと桜を見ながらそぞろ歩き。どちらも他者を見る眼が障(さ)えられている。3月の最終週は花冷えに冷たい雨が追い打ちをかけてくる予報のようだが、その冷たさに、一刹那でも他者を思っていなかったと教えられる縁をいただけるだろうか。
皆さまには、くれぐれもお気をつけて行動され、安心して聞法の会座に出られるよう何卒ご自愛くださることを念じ申しあげます。
東京真宗同朋の会 湯口 暁