本部通信 2021年12月
コロナウイルス第5波新規感染者数は8月を迎えても減少に転ぜず、今年もお盆帰省はホテルに宿を取り、車でお墓参り等をしてきました。所属寺お盆申経のお手伝いも昨年に続き早々に勤めは無くなりました。三条別院、所属寺、ご先祖墓地は静かに私たちを迎えてくれ、嘆仏偶、短念仏、回向を称えさせて頂き、人々との不思議な出遇いがありました。9月30日緊急事態宣言解除となりましたが、職場勤務状況、讃仰講演会制限開催等から本山報恩講行4泊5日詰所予約を苦渋のキャンセルとし、外出・移動も当面避けてコロナ対応の生活を継続しています。
〇定年後週三日勤務聞法中心の生活7年目となりましたが、昨年から職場と自宅との生活となり、聞法会、学習会の多くがzoom、YouTube等となり、当初仮想空間に違和感を覚えながらも他に機会が無いため、此方での聞法となりました。真宗会館日曜礼拝、教学館、相念学舎、まくはり会、サムドラの会、暁の会、役員会に参加しながらも、本山、別院、大谷専修学院、愚深会、真宗学寮、ねこれこ法話会、直七大学等での多くの出合いがありました。
○最近、思うことは、父母を亡くして悲しみと不安の中にいる私に祖母が語った、「親孝行は親が亡くなっても出来る」の言葉と「無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」(『真宗聖典』503頁「三帖和讃正像末」)の和讃でした。前者は私の悲しさの次元を超えた不可解な言葉として、後者にはなぜか心に響く悲しみと有難さとを感じました。また、幼少の頃、「能力や才能に関わらず誰でもがそのままで救われるという道理があるはずだ」との直観とそのことを伝える事の大切さの発見の感覚でした。「善知識『もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ』とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、『わがいのちすなわち無量寿なり』と信ずるなり。」(『真宗聖典』959頁「安心決定紗」)
小学校算数で自分の時間感覚と時計の針が示す時間とに違和感があり、時計の動きを理解できずにいましたが、或る時、「お前の感覚はそのとおりでいいのだが、世の中はこの時計の針を世の中の時間として生活しているんだよ」と言われた郷里の人の言葉を思いおこします。後年、祖母の言葉は聞法の歩みとして、幼少期の感覚は、教えや教学の学びの中で、その感覚とそれらを覆って生活している日々の不確かさとを仏法の中で教わっています。
○「常行大悲」は私には「大悲無倦常照我」と郷里の士徳で生を受けての歩みと感じられ、「徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁、和合すべしといえども、信心の業識にあらずは光明士に到ることなし。真実信の業識、これすなわち内因とす。光明名の父母、これすなわち外縁とす。内外の因縁和合して、報士の真身を得証す。」(『真宗聖典』190頁「教行信証(行)」)のお言葉に感動した若き日を思い起こさせます。
○今後は現代社会を歩む中で、有縁の人々と共に「真宗を語り得るのか」を問うて行きたいと思います。
(城南地区会 長谷川 政良)