本部通信 2022年8月
ミツトヨ社の製品には、広告制作会社で働いていたときに触れていた。広告物の制作にあたって精密な測定が求められるケースはそれほど多くはなかったが、得意先によっては一定の精度を要求されるため、それに応えられるミツトヨ社の主力製品であるマイクロメータ(厚さや幅を1/100~1/1000m単位で測定する計器)やノギスが備えてあった。
ミツトヨ社の創業者沼田惠範(えはん)氏が起業したのはあくまでも仏教伝道の資金とするためであり、工業に必須でありながら当時輸入するしかなかった精密な測定機器の国産化に成功すれば、その資金が集まるに違いないとの思いに基づいてのものだった。その思いの深さは創業時の社名「三豊」には、「三つの豊かさ」の一つとして「仏法僧」の意が込められたことにも表されている。測定機器の専門家でもなんでもない、広島の浄土真宗本願寺派寺院に三男として生まれた沼田氏の「仏法広まれ」という自信教入信の願いが、まさに形として表わされた大仕事である。
マイクロメータや秤などの測定機器がその本来の機能を果たすためには、正しく測定されているかどうかを確認する校正(本来の字は較正)が行われなくてはならない。精密な測定器であればあるほど、使用しているあいだに本来の数字と測定機器の出す数字にズレが生じてくるからである。そのズレを調べるための標準器は国際的に定義されている。
仏法は、私たちにとってその標準器のようなものだろう。聞法会の場をはじめ、いろいろな場面で私たちは自らの「測定値」も「物差し」も本当ではないことを知らされる。本当でないことを知らせるたった一つの真実としての仏法があるからである。「ウソ」だと教えられたその直後に「ウソ」の物差しが「まこと」の物差しに直るわけはなく、また「ウソ」の私が現れる。更に厄介なことに私たちは「意巧(いぎょう)」に、自分が見たいように聞きたいようにものを見聞きする。
聴聞のご縁という「校正」を経て、私たちは仏の物差しを一瞬垣間見るが、またすぐに、知らずのうちに「校正」が必要になっていく。東京真宗同朋の会とのご縁は何にも代えがたいご縁であると、六○年のあゆみを見返すなかで改めて思うところである。
東京真宗同朋の会事務局 湯口 暁