「ただ念仏して」の今・此処 花が次から次へと満開になっていく。近所の方から10年前に亡くなった母に供えて下さいとシャクヤクを頂いた。感激です。毎日、我が家の勤行を聞かれたからであろうか。
コロナ禍でお互いを疑う眼で見る。ロシアのウクライナ侵攻で、正義だ、人道だ、侵略だと、国と国が、そして人と人とが不信感を持つ。戦場に住む者は悲惨。
不信感は、亡き母の生き様とまったく異なる世界である。小さい頃に父母を、そして戦争ではフィリピンで夫を亡くし、私を育てあげた母は逞しく朗らかだった。名古屋の真宗門徒の親戚や地域の御同行・御同朋に支えられた潜在的な母の信頼感であろう。
しかし、今、世界の各地でコロナ禍と侵攻で人間相互関係も、そして心の交流も喪失した。それは恐れ、孤独、不安を生む。日本でも近隣各国との不信と緊張が増大、また国民の貧富の格差は拡大していく。これは、親鸞聖人の生きられた状況、疫病と戦乱の時代と似ているように思う。そして私は、今・此処にある情況下で、老々介護の行く末に、恐れと孤独と不安を感じます。
『曽我量深説教随聞記』(1)には「自覚は時代に目ざめねばならぬ。・・時代とともに、時代を追う。時代を超越して、時代と歩む。それなしにほんとうの正しい信仰は得られない。」(p152) といわれる。時代は、私の事実を明らかにする。真宗の教えを受ける私が、世界と日本の転換期に、どう親鸞聖人の教えに導かれてゆくか。
真宗の教えでは、老・病・死も、障害・被差別も、人間の煩悩から生まれる出来事である。浄土には、これらが在るのだろうか。昔、認知症の老人はいつも「ありがとう」といい「仏様」のようだと尊敬された。浄土の視点から人間を見る、そういう眼を持っていた。仏様という人間を超えた最高の呼び方をされた。老・病・死、障害・被差別の存在を超えた平等な見方、人間の思いを超えた見方である。
その見方が今、此処にあるか。理性と能力と利益を求める社会の中でできるか。それらを超える見方で照らされるのが信心ではないか。あの戦争で障害者となり、肝硬変・慢性心不全・認知症である妻と労作性狭心症の老いた私が、お互いの差異を超えて、お互いを活かす、それが仏への道を歩む、浄土の道への歩みである。この社会的状況と今・此処にある私のあり様を超える教え、それが「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」の教えではないでしょうか。
「今、いのちがあなたを生きている」とは、今・此処にある私とは南無阿弥陀仏・いのちが私を生きているのである、そのことを教えている。この如来の他力回向の存在であることへの感謝、それが私の「ただ念仏して」の南無阿弥陀仏である。
如来の視点から時代に生きている私の煩悩成就の事実を知る、それが「南無阿弥陀仏」である。南無阿弥陀仏は如来の大悲大慈の「救わん」と私の「救われ難し」という自覚であり、二種深信への呼びかけである。南無阿弥陀仏の称名念仏は如来と私との接点である。南無阿弥陀仏は「今・此処」で私が生かされている事実である。
城南地区 釈普現・森田 正治