コロナが始まった頃より、夫婦共々急に激痩せして身体の老化が顕著になってきました。外出もままならず、介護を利用することにしました。歩く速度がそれまでの6分の1位になると同時に時の流れが6倍ほど早く過ぎていきます。私はおかげ様でもう治らない身を自分で引き受けて仏様にたよるしかないぎりぎりの状況に追いこまれ、自然と信じるということが必然になりました。
真宗大谷派とのご縁は18年位前、帰敬式から地区集会や同朋会館、親鸞講座を通じて学んできました。今思えば、当時は家庭や仕事、趣味等全てに世間体を気にした生活でした。聞思しているその場では納得し家に帰ったらすっかり忘れ、自分の不安を解消するすべとしてお願い事をしてきたのでした。
今は歎異抄第一章の「念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々」のお言葉で乗り切り、また、暁烏敏師が私が生まれた翌、昭和21年に報恩講に添える言葉で「前も恩、後も恩、右も恩、左も恩、過去も恩、未来も恩、私がこの世に居るといふことの一切が御恩である。」と言われたことが、ストンと身体の中に入っていきます。いろいろな事が次から次へと起きても報恩を忘れずにいると、利益をいただき助けられてばかりの感謝の生活です。
しかし一方では、夫は雑行から抜けられず、外資系企業のサラリーマンとして、自分と家族を支えて頑張ってきたという過去の自負に現実を直視出来ず、自己中心が出て仏教や仏に対して無私となることができず拒絶しています。正信偈は読んでいても、本当に信じるということは“難の中の難”だなと痛感させられました。
一つ屋根の下で、認知症が出てきている中でどうして仏に「たすけて下さい」と言えないのか、2人で同朋としてやっていけたらと残念です。ウイズコロナがウイズ同朋になる日を切望しているこの頃です。
インターネットで日曜礼拝や新旧の多くの先師の方々のお言葉を聴聞できるのはとても有難いことです。何より同朋新聞で拝見することができる記念法話や、大谷暢裕門首の世界平和を願う尊いお言葉に感銘をいたしました。最後に真宗同朋勤行集あとがきにあります、「前(さき)に生まれん者は後(あと)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶら)え、連続無窮にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」(『教行信証「化身士巻」)を記して。
(城南地区会)小林 昭子