いつもながら、これを執筆する順番が巡ってきますと何を書こうかと悩んでいたところ、会の事務局の方から、法事で帰省するなら三河のことを書くのはいかがでしょうとアドバイスを受けました。教えに基づいたことを書けませんので、真宗の教えに出遇う原点である三河の法事の話を書きます。またかとこれを読まれている方も多いかと思いますが、またです。
コロナ禍の規制も下がった12月25日と1月22日に郷里で法事があり、帰省しまた。12月は妹の嫁ぎ先の義父母の17回忌、1月は母の実家で祖母の33回忌と叔父の7回忌でした。どちらも伝統に従い、浄土三部経が読まれ、その後、正信偶、念仏、和讃を皆で大きな声で称え、お文、住職の法話を聞くという法事です。1月の法事では恩徳讃を最後に皆で歌いました。親戚、子供、孫が15~20人参列し、皆で称える正信偶など、恩徳讃は日曜礼拝に負けません。伝統が引き継がれていることを体感しました。小生の原点、正信偈を皆で称えます。皆の声を聞くと同朋と一緒にいる、一人でないことを自ずと思い知らされます。
父母の親戚の中で、小生だけが西三河から出て暮らしています。日々の生活の中で親戚の人たちと会うことはありません。相続した実家の片付け、弟妹家族を集めての盆正月の会(コロナ禍中は未実施)をするため年に何回かは帰省しています。父母の法事のみならず、長男である小生は、親戚から法事の連絡をもらえば出席するようにしています。近年法事に来てもらう親戚の範囲が狭くなっていることや、コロナ禍もあり、親しい家族だけで法事を済ますということは、小生の親類もその傾向です。1月の法事の折、叔母(母の妹)の夫の死を知りました、正月に餅を喉に詰まらせ亡くなったそうです。実家には連絡したものの自分の姉の家族には連絡せず、家族葬で済ましたそうです。叔母さんが亡くなったら行くからといいましたが、来なくてもいいと寂しいことを言っていました。母が亡くなる前、大変世話になった叔母です。身近な親戚でも法事で呼ぶ範囲が狭くなり、親戚付き合いが無くなってきました。既に父方の親戚ではその傾向が強く現れています。
法事を通した親戚付き合い、法事を通しての真宗との出遇いが無くなれば、家の宗教も薄れ、「家の宗教から個の自覚の宗教へ」(同朋会運動発足時のスローガン)どころでなくなります。同朋会運動の根本が揺らいでいるとしか思えません。そして、地方から都会に出てきた者は、郷里との縁が薄れてきます。今、住む者もいない実家の処分を迫られている小生にとって、郷里を離れ、首都圏に根を張り、真宗の教えを聞き続けている同朋会の先輩方は、手本を示してくれています。その先輩たちも真宗会館の日曜礼拝でお見受けする機会が減りました。南無阿弥陀仏を称える縁を与えていただいた親戚、同朋会の皆様にお礼を申し上げます。
釈英證(稲垣英昭)