私たちの先輩は「お育て」という言葉をよく使われますが、いま思えば、ほんとうにお育ていただきましたという、そういう思いでいっぱいです。育てていただいて、立派な一人前にしてもらいましたと言いたいところですが、怠けものの私が、仏様に手を合わせたり、聖典を開いたりする、それは、衣を着ている手前、それなりにしないと格好悪いという私の見栄っぱりをよくわかって、私のようなものを「先生、先生」と呼んで、くださったみなさんのおかげです。なんとかかんとか今日まで歩ませていただいたという意味での、「お育ていただきました」です。
さて私はいま 、毎日、阿弥陀堂と御影堂が間近に見上げられる場所で参詣者、 観光客など 、 東本願寺を訪れる方々のご案内をし ています。
近頃では、海外からも数多 く、英語、中国語を中心にじつにさまざま な言語がとびかっています。先日は、英語で問いかけら れました。「 なんて美しい建物なんでしょう。ここは、とても大きな敷地だけれども、なぜこんなに広いのですか?」、たぶん、おそらくですが、そのように尋ねられた。 そのとき、私は言葉に詰まってしまいました。これは、私がほとんど英語をしゃべれないという、そればかりではなく、なぜこんなに本願寺の建物が大きいのか、その理由がとっさに思い浮かびませんでした。
私は、苦し紛れに、トンチンカンなことを一生懸命しゃべっていま したが、 これからは、「弥陀の本願の力です」と、はっきりと、わかりやすくお伝えできる ようになるという、これが、当面の私の大きな宿題です。
(本廟部参拝接待所 生實 修)