1月19日夜、23年間闘病していた叔父が78歳で亡くなりました。母の実家(豊田市) を継ぎ、2男1女の子供がいます。
21日夕方、母の実家に立ち寄ってお参りし、叔父の長男が導師となりお勤めをしました。
22日通夜、23日告別式、火葬場にて茶毘に付し、初七日の法要が執り行われました。通夜、初七日では、住職による阿弥陀経、参列者で正信偈他を称えました。
初七日の法要を終え、叔父の家に戻り、叔母や従兄弟たちの昔話や仏法の話をしばらく していたら叔母の一人が「お勤めをしよう」と言い出しました。小生やその家の跡取りは、 連日のお勤め、初七日でもお勤めをしたため乗り気ではなく、その時は行いませんでした。
叔母たちも連日のことで疲れが出て、帰宅しました。小生は残り、初七日のお斎の代わりに配られた割子弁当を叔父の家の人達と摂り、いよいよ帰ろうとしたところ、従妹の子供が「お勤めをしよう」と言い出しました。子供の心を尊重するため、跡取りが導師となり、なぜか保育園児のその娘が隣に座り、鐘役、従妹の子供( 小中学生4人)とともにお勤めをしました。始まる前に、「正信偈には、インド、中国、日本の7人の偉いお坊さんを経て親驚聖人に伝わったことが書いてある」とか、「南無阿弥陀仏は声を出して称え、それを聞いてください。阿弥陀さんが皆の声を借りて呼びかけているから。」と、話していると中学生の一人がどこかで「真宗は簡単だ、ただ念仏すればよい」と聞いたと話しまし たので、誤解 されるといけないとの思いで「偉いお坊さんが勉強し、考え抜いた結論だ」 と話してあげました。どれだけ伝わったか判りませんが、何かしら仏法の話を聞いた記憶が残ってくれれば思いました。
叔父の奥さんの話では、亡くなり病院からもどった叔父を見た従妹の子供が、「おじいちゃん」と呼びかけ、別の子は「僕の家には帰るところ( 仏間)がない」と話したそうです。幼い子供それぞれが、人の死に向かいあったのです。
叔父が亡くなり判ったことは、日々のお勤めを欠かさず熱心な真宗門徒であった祖父の姿を見ていた叔母たち、叔父の長男、小生にもお勤めの大切さが伝わったことでした。また、その孫達にも皆で正信偈を称えることが伝わりました。家の宗教だからこそ、代々家族に伝わってきたのです。
叔父は最後の勤めを果たし、白骨の身となり、浄土に旅立ちました。
ある家族の5日間の出来事ですが、真宗が伝わる5日間でもありました。
釈英證(城北地区会 稲垣 英昭)